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谷晃生(サッカー)の経歴と歴代所属チームは?家族と両親や名前の由来も紹介!

 

谷晃生サッカー日本代表選手の現在の所属はJ1湘南ベルマーレです。

現在20歳ですが、その経歴も気になるところ。

そして、谷晃生選手を支える家族や両親はどんな方なのでしょうか。

 

谷晃生サッカー日本代表選手の経歴と、湘南ベルマーレ移籍前の所属や移籍理由なども調べてみました。

家族や両親についてと、「晃生(こうせい)」という名前の由来もまとめて紹介します。

 

谷晃生(サッカー)の経歴と歴代所属チームは?

谷晃生選手は現在、J1湘南ベルマーレに所属しています。

 

サッカーを始めたのは幼稚園の年長のとき、5歳からだといいます。

きっかけは、サッカーをしていたお兄さんの影響です。

当時、TSK泉北サッカークラブ(現・TSK堺SC)でFWをしていました。

原山台小学校3年生のとき、3歳上の兄が所属していたチームに、人数が足りないことと、背が高いという理由でGKとして出場。

そのときに「GKも意外に楽しい」と思ったということです。

そこで、小学4年生(2010年)から3年間、ゴールキーパー養成スクール「おーさかGKスクール」の第1期生として所属します。

小学5年生のときには、大阪府トレセンに選ばれたといいます。

※トレセン(トレーニングセンター)とは、子供たち(選手)の育成や強化をはかるため、選ばれたメンバーが施設(トレーニングセンター)に集まってトレーニングをすることだといいます。
トレセンに選ばれる基準というのは、地区や都道府県などによって違うそうです。

 

原山台中学1年生(2013年)のときには、身長が170cm近くに成長したということです。

ガンバ大阪ジュニアユースから誘われ、GKとして所属。

「サッカー脳」を持っていると話題になり、Jリーグ下部組織で争奪戦になったといいます。

 

追手門学院高校に入ると、GKとしてガンバ大阪ユースに所属。

高校3年生のときに飛び級昇格でJ1ガンバ大阪とプロ契約を結びました。

 

高校生のときからプロ選手たちと一緒にトップの練習に参加していたため、ユースやトップの試合にたくさん出られず、試合に出たいという気持ちばかりが強くなっていたといいます。

そんなとき、プロになって2年目で怪我をしたそうです。

トレーニング中の負傷で、左反復性肩関節脱臼と診断されました。

サッカーができない期間が長くなったときいろいろと考えたといいます。

そして2020年、出場の機会を得るために1年という期限付きでJ1湘南ベルマーレに移籍をする決断をしたそうです。

移籍期間は1シーズン延長されたため、今シーズンも湘南でプレーするということです。

 

 

日本代表としてプレーした大会や試合の経歴を紹介!

2015年 U-15日本代表

・SPORT FOR TOMORROW日本・中央アジアU-15サッカー交流プログラム
・AFC U-16選手権インド2016 予選
・バル・ド・マルヌU-16国際親善トーナメント2015

2016年 U-16日本代表

・SPORT FOR TOMORROWプログラム 中央アジア・日本U-16サッカー交流
・U-16インターナショナルドリームカップ2016 JAPAN Presented by JFA
・国際親善試合~オマーン遠征~
・AFC U-16選手権インド2016
・Copa UC 2016

2017年 U-17日本代表

・国際親善試合~スペイン遠征~
・国際親善試合~ギニア・UAE遠征~
・第21回国際ユースサッカーin新潟
・第24回バツラフ・イェジェク国際ユーストーナメント
・FIFA U-17 ワールドカップインド2017

2017年 U-20日本代表

・国際親善試合~ドイツ遠征~
・M-150 CUP 2017

2018年 U-19日本代表

・国際親善試合~インドネシア遠征~
・国際親善試合~メキシコ遠征~
・AFC U-19選手権インドネシア2018
・国際親善試合~ブラジル遠征~

2018年 U-21日本代表

・ドバイカップU-23

2019年 U-22日本代表

・国際親善試合~ブラジル遠征~
・KIRIN CHALLENGE CUP 2019

2020年 U-23日本代表

・AFC U-23選手権タイ2020

2021年 U-24日本代表

・SAISON CARD CUP 2021
・SAMURAI BLUE 対 U-24日本代表
・国際親善試合(vs U-24ガーナ代表)
・国際親善試合(vs ジャマイカ代表)
・KIRIN CHALLENGE CUP 2021
・第32回オリンピック競技大会(2020/東京)

 

谷選手は、2017年のFIFA U-17ワールドカップインド2017のイングランド戦でPK戦の末ベスト16で敗退した悔しさを東京オリンピックで挽回したいといっていました。

東京オリンピックサッカー日本代表GKとして、ニュージーランドとのPK戦で好セーブを見せ準決勝進出に貢献しましたね!

すごくうれしいです!

 

谷晃生(サッカー)の家族と両親や名前の由来は?

大坂府堺市出身の谷晃生選手の家族は、両親と兄2人の5人家族です。

 

父親は新日鉄(現・日本製鉄)の社員で、応援部に所属していたといいます。

母親は元バレーボール選手で、高校時代は高校バレー全国大会に出場し、その後バレーボール女子の実業団・新日鉄堺に所属していました。

応援部に所属していたお父様は、お母様が所属するバレーボール実業団の試合の応援もされていたそうで・・・

なんか、いいですね、そういうの!

 

お母様と同期には植田辰哉さん(元新日鉄男子バレー部(現・堺ブレイザーズ)の元選手)と野茂英雄さん(元新日鉄野球部)がいて、中垣内祐一さん(元新日鉄男子バレー部(現・堺ブレイザーズ)の元選手・監督)の試合の応援もお父様はされていたということです。

 

谷選手がガンバ大阪ジュニアユースに所属していたときは、自宅と練習場までの往復約80キロをお母様が送迎していたといいます。

お父様も家事を協力して家族を支えたそうです。

 

兄は2人いて、谷選手はサッカーをしていたお兄さんの影響でサッカーをはじめました。

現在お兄さんがサッカーをされているかどうかは分かりませんでした。

 

谷選手の「晃生(こうせい)」という名前ですが、ご両親が命名したといいます。

2000年11月22日生まれの谷選手。

誕生の約2か月前に、シドニーオリンピック柔道男子100キロ級で井上康生選手が金メダルを獲得しました。

そのことにあやかって、「こうせい」の名前をつけたといいます。

 

第一線でスポーツをしていた母親と、スポーツ観戦と応援することが大好きな父親、そして、スポーツ少年だったお兄さんに囲まれて、オリンピック金メダリストの名前の谷選手は、生まれたときからスポーツが身近なものだったのですね!

 

谷晃生選手の経歴と歴代所属チームや家族と両親や名前の由来まとめ

谷晃生サッカー日本代表選手の現在の所属は、J1湘南ベルマーレです。

幼稚園年長の5歳からお兄さんの影響でサッカーをはじめ、ガンバ大阪の育成組織に所属し、飛び級昇格でJ1ガンバ大阪のプロとしてデビューします。

U-15からの経歴を重ね、東京2020オリンピックのサッカー日本代表GKとして注目されています。

現在20歳で、身長190cm、体重84kg、足のサイズ29.0cmと体格も良く、GKとして大活躍!

 

歴代所属チームは、

TSK泉北サッカークラブ(現・TSK堺SC)
→ ゴールキーパー養成スクール「おーさかGKスクール」の第1期生
→ ガンバ大阪ジュニアユース
→ ガンバ大阪ユース
→ J1ガンバ大阪
→ J1湘南ベルマーレ

となります。

 

家族は、新日鉄(現・日本製鉄)の元応援部の父親と、バレーボール女子実業団・新日鉄堺の元バレーボール選手だった母親と、お兄さん2人の5人家族です。

「晃生(こうせい)」という名前の由来は、誕生の少し前に開催されていたシドニーオリンピックの柔道男子金メダリストの井上康生選手が由来でした。

家族の応援を受けて、谷選手はプロサッカー選手としてキャリアを重ねていっていますね!

すごくかっこいいです!