2020東京オリンピックの柔道で、日本に負けず劣らずメダルを獲得しているコソボ共和国。
あまり聞いたことのない国名のため、「なんでコソボって柔道が強いの?」と疑問に思う方も多いはずですよね。
コソボの柔道がこんなに強いの知らなかった
— まいきー (@gomikuzusyain) July 26, 2021
どうやら、コソボが柔道強豪国に成長した理由には、ある1人の指導者が築いた歴史に秘密があるようです。
そこで今回は、コソボが柔道に強い理由や、指導者ドリトン・クカが築いた歴史の内容についてお伝えしていきます!
コソボの選手が柔道に懸ける思いは、非常に熱いものでした…。
コソボが柔道に強い理由は?なぜ?

2021年7月開催の東京オリンピックでも、人並外れた強さを発揮しているコソボ共和国の選手たち。
その強さの秘密に迫る前に、「そもそもコソボってどこの国?」という方に、簡単にコソボの国についてご紹介します。
(知ってるよ!という方は下までスクロールしてください^^)
そもそもコソボとはどんな国?
コソボ共和国とは「バルカン半島中部の内陸部に位置する国家」のことです。
国名 | コソボ共和国 |
面積 | 10,887km2 |
人口 | 1,847,708人 |
公用語 | アルバニア語、セルビア語 |
首都 | プリシュティナ |
位置的には⬇︎のgooglemapをご覧ください。
北東はセルビア、南東は北マケドニア、南西はアルバニア、北西はモンテネグロに囲まれています。
ちなみに、日本の岐阜県の面積/人口は、10,620 km²/199.1万人。(2019年時点)
つまり、コソボは国の大きさと人の数だけで言えば日本の岐阜県とほぼ同じなのです。
日本よりずっと小さく人の数も少ないコソボ、なぜ柔道が強いのか?
理由がますます気になっちゃいますね。
コソボが柔道に強い理由は?
何故コソボは柔道強いのだろう。
— Nobuhiro Kankura (@kan_nov) July 26, 2021
コソボ共和国が柔道強豪国に発展した理由は、主に以下2つが挙げられています!
- 指導者ドリトンクカが築いた歴史
- 他競技より出費が抑えられる
特に「指導者ドリトン・クカ」の存在がコソボの選手たちの心に強く根付き、精神的に大きな支えとなっているのだと考えられています。
次からそれぞれの理由について詳しく説明していきますね。
コソボが柔道に強い理由①指導者ドリトンクカの歴史

コソボが柔道に強い理由1つ目が、指導者であるドリトン・クカが築いた歴史にあります。
ドリトン・クカとは?
ドリトン・クカさんとは、2020東京オリンピックのコソボ柔道競技の男性コーチ。
かつ、柔道の金メダリストであるマイリンダ・ケルメンディさん(上記動画内の女性)を幼い頃から育て上げた「コソボ柔道の父」とも言われている、世界有数の名指導者です。
現役時代は、まごうことなき柔道界のトップクラスの選手でした。
- 1988年:ユーゴスラビアカデ選手権 優勝(64㎏級)
- 1988年:ユーゴスラビアジュニア選手権 3位(65㎏級)
- 1989年:ユーゴスラビアカデ選手権 3位(70㎏級)
- 1989年:ユーゴスラビアジュニア選手権 優勝(71㎏級)
- 1990年:ユーゴスラビアジュニア選手権 優勝(71㎏級)
ここでいう「ユーゴスラビア」とは、第二次世界大戦中の1943年〜1992年まで存続した社会主義国家のこと。
コソボは1991年に独立宣言をし、2008年にユーゴスラビアから独立したばかりの国です。
そのため、1990年代には国内で頻繁に内戦が起こっていました。
ドリトン・クカが築いた歴史

「コソボ柔道の父」とも言われているドリトンクカさんの歴史をまとめました。
- 1988年〜1990年:五輪で「ユーゴスラビアの柔道選手」として連覇を達成
- 1991年:コソボがユーゴスラビアから独立宣言
- 1992年:「コソボ選手」としての出場が叶わなかった為バルセロナ五輪への出場を辞退
- 1990年後期:柔道教室を開校
- 2008年:コソボがユーゴラスビアから独立決定
- 2014年:コソボの五輪参加が正式にIOCから認められる
- 2016年:リオデジャネイロ五輪にコソボが国家として初めて参加を実現
1989年の五輪まで、コソボではなく「ユーゴスラビアの選手」として五輪に出場していたドリトン・クカさん。
しかしこの頃ユーゴスラビア紛争が勃発しており、コソボが自国の独立宣言を行っていました。
そのため「旧ユーゴスラビアの選手」ではなく「コソボ代表の選手」としての出場を熱望していたドリトンクカさんは、1992年のバルセロナオリンピックへの出場をやむなく辞退することに。
欧州の小国・コソボには、五輪に出られる成績を残していても、出場がかなわない選手がいます。「夢の舞台に国籍など関係ないはず」。アスリートの悲痛な叫びが心に響きます(けん) #オリンピック http://t.co/9MlBaz2K
— 東京オリンピック・パラリンピックニュース (@asahi_olympics) July 23, 2012
その後どんどん激化していく紛争により、ドリトンクカさんは現役選手として柔道を続けることすら難しくなってしまいます。
(その紛争により、彼自身の家が無惨にも焼き尽くされてしまったようです。)
結果、ドリトンクカさんは「自国・コソボの選手」としての五輪出場は叶わないまま現役時代が終了。

やがて紛争が終わった1990年代後期に、ドリトンクカさんは…
「紛争で悲しい思いをした子供たちのために、柔道のコミュニティを作りたい」
という思いの元、兄弟と一緒に「Ippon Judo Club」という柔道教室を開きます。
ちなみに、そこにはコソボの柔道代表選手として今や続々とメダルを獲得しているマイリンダ・ケルメンディさん(当時7~8歳)も含まれていました。
その後ようやく2016年のリオデジャネイロ五輪にて、コソボは国家として初めて五輪出場が認められたのです。
コソボが国家として国際的に認められたのはわりと最近ですし五輪も初出場は前回のリオからですね。内戦に見舞われて多くの人が傷ついた歴史を持つ国ですしきっと今回の躍進では勇気づけられた人もいると思いますよ。
— 矢崎十兵衛竜座@頑張れ日本! (@yazakiryuza) July 26, 2021
ドルトンクカさんの「コソボ選手としての五輪出場」という夢は、その教え子たちに次々と託されていっているんですね。
コソボの選手が柔道に強い理由は、柔道を国内に広めてくれた師であり父でもあるドリトンクカさんの悲願を叶えたい!という熱い想いが内に秘められているからなのでしょう。
コソボ選手としての五輪出場は、まさにコソボの柔道全選手の悲願だったのです。
ようやく掴み取った五輪出場。
選手ひとりひとりの団結力や勝利にかける思いも、並大抵のものではないに違いありません…。
コソボが柔道に強い理由②他競技より費用が高くない

コソボが柔道に強い理由2つ目が「柔道は他の競技に比べて始めやすい武道であるため」だとされています。
コソボ🇽🇰200万人もいないのにメダル🏅数8位って✨
コソボ🇽🇰がなぜ柔道かと言うと水泳や体操、陸上は金が掛かるけど、柔道は初期投資が少なく済むから。つまり畳と柔道着さえあれば出来るから。
逆に言うとアメリカ🇺🇸が水泳や陸上強いのは国に力があり、金掛けらるからですね、、。 pic.twitter.com/2pk9PoOlw9— くじらーX336 (@X3362) July 27, 2021
極端な話、柔道を始める際に必要な”物”だけ考えたら柔道着のみ。
そのため初期投資が少なく済むのです。
これには、コソボが長らく直面してきた悲惨な状況が大きく関係しています。
コソボ紛争が終結した以降も、長らく貧困に悩まされてきているコソボ。
2011年〜2013年時点でも以下のような状況でした。
独立後も経済が低迷。
世界銀行によると、2011年時点の貧困層は約30%で、国民の約1割が1日1.2ユーロ(約163円)以下で暮らす。
2013年の15~24歳の失業率は55.9%。出典:2015年2月13日『日本経済新聞』
そんな現状の中、最低でも「畳」と「柔道着」さえあれば始められる柔道は、子供たちにとっても触れやすい武道だったのでしょう。
それでいて、柔道の父・ドリトンクカさんが開いた柔道教室もあるという!
小さく人口も少ないコソボにおいて、まさに柔道は親やすいスポーツのひとつだったんですね。
【まとめ】コソボが柔道に強い理由

「コソボが柔道に強い理由」についてまとめていきました。
中には、オリンピックをきっかけにコソボという国を知った方も多いはず。
今や柔道強豪国として知られるようになったコソボですが、そこに至るまでにはドリトンクカさんや子供たちが積み上げてきた様々な苦労と努力があったのです。
柔道金メダル🏅のコソボの選手、コソボは長らく紛争地域でコロナ関係なく命の危険と隣合わせの状況だもんね…表彰台での涙には色々な想いが詰まってるんだろうなと思うと私もこみ上げちゃう🥲
本当におめでとう🌼— ₦₳Ø (@Nao547) July 24, 2021
日本の選手を応援したい気持ちはもちろんですが、コソボの選手が表彰台に立っている姿を見るとなんだか感慨深い気持ちになってしまいます。
これからも自国の選手をはじめ、コソボの選手の活躍にも注目していきたいですね!