柔道の阿部兄弟こと阿部一二三選手、阿部詩選手がダブルで金メダルを獲りましたね。本当におめでとうございます!
兄弟そろっての金メダルポーズ写真では、満面の笑みで日本中のみんなが微笑ましい気持ちになったのではないでしょうか。
絵にかいたような美男美女の阿部兄弟ですが、オリンピック金メダル獲得までにはいろんな困難や苦悩があったようです。そこで今回は二人がオリンピックまでに歩んできた道のりや練習方法をご紹介します。
阿部兄弟【柔道】金メダルまでの道のり
阿部兄弟は神戸市出身で、兄の一二三選手は6歳で柔道を始め、妹の詩選手は2年後の5歳から柔道を始めます。
一二三選手は泣き虫で長男の勇一朗さんが練習に付き合ってくれていました。兄の勇一朗さんは柔道に興味がなかったのですが、泣きじゃくる一二三選手のために一緒に付き合ってくれていたようです。
妹の詩選手は、技を覚える感覚に優れていたようで”妹の方が強くなるぞ”とささやかれていたようです。しかし、詩選手にとって一二三選手の存在はとても大きく、”兄を見て柔道を覚えた”と話されています。負けずらいという性格もあってか、一二三選手が3キロ走れば詩選手も3キロ走ろうとしていたようです(実際は走れないけど)
父、浩二さんがつぶやいた一言が現実に!
2013年9月8日に東京オリンピック開催が決定しました。阿部一家はみんなでテレビを見ていて、父の浩二さんがつぶやきます。
”二人で出られたら最高やな”
この父親の言葉で
一二三選手は”自分の国で金メダルを取りたいな”
詩選手は”20歳で東京オリンピックに出て優勝したい”
と強く思い、阿部兄弟が夢に向かって走り出した瞬間でした。
その後2018年の世界選手権では阿部兄弟そろって表彰台の頂上に立ちます。一二三選手は2日連続の世界制覇、詩選手は初優勝としました。
苦悩や困難を乗り越え、家族全員で目指した『金』
しかし順風満帆な日々だけではありませんでした。阿部兄弟二人そろって金メダル獲れたのは、父浩二さん、母愛さん、兄勇一朗さんの献身なサポートがあったからです。
新型コロナウイルスの影響で畳の上で組み合う稽古はできませんでした。そこで、父浩二さんはたびたび上京し、一二三選手と詩選手と200段階段ダッシュをしていたようです。浩二さんは神戸に戻っても毎日10キロ走り、”自分もしんどいことをしてプレッシャーを共有したかった”と話されています。
一二三選手は父浩二さんを”一番大きな存在”と信頼を寄せています。
阿部兄弟【柔道】オリンピックに向けての練習方法!
金メダルを見事獲得した阿部兄弟の練習方法を兄、一二三選手からみていきましょう。
阿部一二三選手 幼少期~小学生
阿部一二三選手の練習方法は柔道以外の練習もすることでした。
柔道以外の練習内容は
・ランニング
・階段ダッシュ
・ラダートレーニング
・メディシンボール
などの、体幹や柔道にかかわる動きを鍛えるものを中心に取り組んでいます。体幹が強いと言われている一二三選手ですが、幼少期のトレーニングがとても大事だということがわかりますよね。
小学校高学年から一二三選手を指導してきた松本純一郎監督に、小柄な体格でも相手選手を投げられるよう、「腰で投げる技術」を学んだようです。
阿部一二三選手 中学~高校時代
小学生時代に全国大会へ行けずとてもくやしい思いをした一二三選手。中学時代は”日本一になりたい”思いが強く友達と遊ぶことなく毎日柔道の練習に励みます。
身体の成長と共に、力がついてきたのもこの時期でした。
中学の3年間が一番練習量が多く、1日6時間練習しています。朝から走って、寝技、立ち技と一通りの技を行う練習をしていました。
また高校生に交じって練習をしています。たくさん投げられましたが、”自分より力が上の人とやらないと強くはなれない”と考えていたので、とても充実した練習をしていたようです。
高校の冬合宿の地獄メニューが合宿の中でもかなり辛かったようです。
ストーブをつけ、ドアや窓を閉め切り、熱気でサウナ状態になった道場で立ち技を行うメニュー
夏合宿のメニューよりもきつかったと記憶しているようです。
阿部一二三選手 大学時代~現在
さぼろうと思えば簡単にさぼれるけど、勝ちたいという思いが強く、そのために練習して努力を続けたようです。常に自分自身で厳しい練習をし、徹底的に自分で自分を追い込んでいたようです。
練習では寝技の強化と苦手な逆技を中心に取り組んでいたようです。
阿部詩選手
阿部詩選手ですが、兄一二三選手とは違い、小学生の頃はダダをこねて車から降りないほど練習は嫌いだったようです。
天才肌の詩選手は波があったようでう、高校生の頃は1年に1回は負ける選手だったようです。しかし、阿部詩選手のえらい所は、負けるたびに強くなることです。詩選手の一番の素質ではないかと言われています。
寝技で負けることが多かった阿部詩選手は寝技の強い学校に稽古をしていたようです。
また阿部詩選手のトレーニングの一部にゲレンデダッシュというものがあります。
ゲレンデダッシュのトレーニングとは”250mの丘を数秒のインターバルを開けて、全力でダッシュする”ことです。
早朝からの走り込みや、4時間ぶっ通しでの柔道をしたり、とても厳しい練習をしていたようです。
阿部兄弟【柔道】金メダル獲得!オリンピック練習方法を紹介!まとめ
阿部兄弟がダブルで金メダルを獲れのも家族のサポートや、一二三選手と詩選手の”オリンピックで金メダルをとる”という強い思いから生まれたものでした。
オリンピックまでの練習方法は毎日たくさんの時間稽古やトレーニングに励み、さぼらずにただただ練習という努力を続けていたことだと一二三選手も言われていました。
日本中に感動を与えてくれてほんとうに感謝しています。阿部兄弟の益々のご活躍を祈念いたします。