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門馬監督(東海大相模)退任を決めたのはいつ?甲子園春夏連覇の夢途絶える!

一昨年の神奈川大会、昨年の独自大会でも優勝、県内で強さを誇っていた東海大相模。

春夏4度の全国制覇に導き、この夏限りでの退任を発表していた門馬敬治監督のラストは登録メンバー17人がコロナで陽性反応が出るという無念の辞退となりました。

門馬監督が退任を決めたのはいつで、理由についてもまとめました。

最後まで読んでいただけると嬉しいです。

門馬監督(東海大相模)退任を決めたのはいつ?

東海大相模に門馬監督が就任されたのは1999年。29歳の時でした。現在51歳ですので22年の歴史があります。

2000年のセンバツで監督としては、甲子園初出場で初優勝というすばらしい結果を残します。

さらに2011年春、2015年夏、2021春と計4回優勝。

今春については、次男の功外野手(3年)と“親子鷹”で優勝されました。

決して順風満帆ではありません。

今春10年ぶりの優勝でした。

東海大の関係者や保護者の方にも、地方の系列高校に異動する話があったこともメールで報告されています。

この夏も甲子園連覇で有終の美を飾るはずでしたが、コロナという魔物で辞退となってしまいました。

そんな門馬監督は、健康上の理由で6月30日の練習後退任することを部員たちに伝えたといいます。

メディアには7月1日の時点で『センバツが終わった時期に決断した』と語られています

門馬監督(東海大相模)退任を決めた理由は?

門馬監督はセンバツが終わった時期に決断したと発表されていますが、退任を決めた理由はなんだったのでしょうか?

それは、2020年5月に、練習中、首にボールを直撃し入院されています。神奈川大会での準決勝のベンチ入りを断念されています。

翌日の決勝では、遠藤愛義コーチが監督代行を務めました。

指揮は門馬監督が執り行いましたが、首が回らない状態です。

痛々しい状態で采配されていました。

さらに門馬監督はもともと心臓が悪かったので、総合的に今夏限りと判断されました。

メディアに対しても『心身の不調』と話されています。

今春のセンバツで10年ぶり3度目の優勝を果たし夏の最後を見届けてラストを迎えたかった監督にとって、無念の出場辞退となりました。

準々決勝での相手校である藤沢翔陵の不戦勝となります。

門馬監督(東海大相模)甲子園春夏連覇の夢途絶える!

東海大相模は22日に、神奈川大会5回戦で藤嶺藤沢に6-0で勝利し、準々決勝進出を決めていました。

投手は先発のエース石田が6回無失点。2番手の石川につなぎ、完封リレーを完成させました。

みなさんの反応は、

甲子園春夏連覇が、無念の出場辞退という結果で終わり、門馬監督も最後を迎え、東海大相模のメンバーや関係者、応援しているファンのみなさんが悔しい思いをされています。

東海大相模監督後任

東海大相模の監督後任には巨人の原辰徳監督の名前が上がっています。

https://twitter.com/TokyoGiants/status/1418015339636432899

東海大時代にマネジャーとして名監督、原貢氏(故人)の薫陶を受けた門馬監督。

長男である原辰徳監督には、門馬監督にとって高校・大学の先輩です。しかも巨人入りという環境も整っています。

原監督は、全国制覇を4回している門馬監督を尊敬されています。

そして一線を退かれる監督に、まだまだ若いのでと、さらなる指導者として期待されています。

門馬監督(東海大相模)退任を決めたのはいつ?まとめ

この記事では、門馬監督が退任を決めたのはいつ?についてまとめました。

退任を決めたのはセンバツが終わったときで、6月30日に部員に報告されました。

理由については、首を痛めたことと、もともと心臓が悪く『心身の不調』とされています。

最後まで読んでくださりありがとうございます。