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浦田理恵(ゴールボール)の成績は?高校や大学などの出身学校も調査!

8月24日から東京で開催されているパラリンピックにゴールボールの代表選手として、浦田理恵選手が出場されます。

浦田選手は今大会の開会式で日本選手団副主将として選手宣誓を務めました。
競技以外でも、講演会の講師として年間約60件の活動をされています。

浦田選手はゴールボールを通して、「誰かの人生を前向きに変えるきっかけになる」という思いを持っており、プレーヤーだけでなく教える側としても活躍されているのが凄いですよね!

そんな志高い浦田さんの

・浦田理恵のプロフィール
・浦田理恵(ゴールボール)の成績
・浦田理恵の高校や大学

について調査してみました。

浦田理恵の年齢や出身地などのプロフィール!病気は何?

名前:浦田理恵(うらたりえ)
生年月日:1977年7月1日
年齢:44歳
身長・体重:159cm、53kg
出身:熊本県玉名郡南関町
所属:総合メディカル/九州なでしこ
ポジション:センター

浦田選手は熊本県出身のゴールボール日本代表選手です。
元々は小学校教師を目指していたのですが、20歳の時に急激に視力が低下し、網膜色素変性症と診断されてしまいます。

4000人~8000人に1人発症する可能性のある病気で、治療法が見つかっていない難病となります

左目の視力はなく、右目もほとんど見えていない状態で強いコントラストのものしか判別できないそうです。

病気を発症した当初は、ひどく落ち込み引きこもっていたようですが親からの支えもあり社会復帰を果たします

鍼灸マッサージ師になる為に免許を取得したのですが、その際に入った視力センターのクラブ活動でゴールボールに出会ったとの事

30歳の頃には世界選手権に出る程の実力となり、現在はパラリンピックの日本代表選手としても活躍しているんですね!

ゴールボールを通して、「誰かの人生を前向きに変えるきっかけになる」というのは、浦田理恵さんが経験してきた挫折からくる言葉だったようです。

浦田理恵(ゴールボール)の成績や経歴は?

浦田選手はセンターという守備のかなめのポジションを担っており、チームのキャプテンも務めています。
ボールの位置や相手選手の動きを察知する能力は世界からも評価されています。

パラリンピックは2008年の北京大会から4大会連続の出場で、2012年のロンドン大会では夏季・冬季あわせて日本史上初となる団体競技での金メダルを獲得しています。

また、数多くの世界大会でも日本の中心選手として活躍されていて、2018年のアジアパラリンピックでは優勝もしています。
厚生労働大臣賞、福岡県民スポーツ栄誉賞、西日本スポーツ賞など数々の賞を受賞されています。

浦田選手は、2006年から日本代表として活躍されていますが、2019年に1度だけ日本代表を外れたことがあります。
しかし、この時に国際大会を客観的に見ることができ、自分の役割を再認識するとともに他の選手たちの活躍に刺激を受けます。
そして、厳しいトレーニングを重ねた結果、東京パラリンピックの日本代表に選出されています。

浦田理恵の高校や大学は?

出身高校は熊本県立鹿本高等学校です。
熊本県立鹿本高等学校は公立の進学校で偏差値は51~52です。
普通科のほかに、みらい創造科、スポーツ健康科学コース、グローバル探究コースがあり、文部科学省のSSH(スーパーサイエンスハイスクール)指定校にもなっています。

高校卒業後は福岡教員養成所に入学します。
元々、小学校教師を目指していましたが、障害が原因で夢を諦めることになってしまいます。

その後、手に職をつけるために鍼灸マッサージ師になることを目指し、専修学校に通い始めます。
2004年のアテネ大会でゴールボール日本代表が銅メダルを獲得したことをきっかけにゴールボールを始めます。
偶然通っていた専修学校では、日本代表の練習も行われており、競技をする環境は整っていました。

まとめ

今回は、浦田理恵選手のプロフィール情報を中心に調査しました。

・浦田理恵選手は網膜色素変性症で視力がほとんどない
・浦田理恵選手(ゴールボール)の成績は金メダルも獲っている世界トップレベル
・浦田理恵選手の出身高校は鹿本高等学校

目が見えないというのは様々なリスクがあるので、常に気を張っていないといけないイメージがあり、身体的にも精神的にも大変だと思います。
それでも、浦田選手のように世界と戦っている姿は、障害を持っていない人の心にも届くものがあります。
今大会、2大会ぶりの金メダルが獲れるように画面越しではありますが、応援しています!

以上、最後まで閲覧いただきありがとうございました。